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2005年度COE博士論文成果報告会

日時:2006年2月23日(木)17:00〜19:00
会場:早稲田大学国際会議場第2会議室

【1】17:00〜18:00
南 聲鎬氏 [古典演劇研究(歌舞伎・日本舞踊)コース 2002年度特別研究生]
       2005年度早稲田大学文学研究科 芸術学(演劇映像)専攻 学位取得論文
「舞う神考―日韓民俗芸能比較研究―」

【2】18:00〜19:00
金 京欄氏 [古典演劇研究(人形浄瑠璃文楽)コース 特別研究生]
       2005年度早稲田大学文学研究科 芸術学(演劇映像)専攻 学位取得論文
「日・韓語り物文芸における女性像と担い手たち」
  −「堤上」説話・「まつらさよ姫」から『沈清歌』まで−

※入場無料・予約不要

2005年度第一回研究成果発表会

日時:2005年7月20日(水) 13:00〜16:00
会場:西早稲田キャンパス6号館318教室(レクチャールーム)

司会:江口文恵(COE客員研究助手)
    川島 健(COE客員研究助手)


【1】13:05〜13:30〜13:45
志村 三代子 (アーカイブ構築研究(映像)コース COE客員研究助手)

移行期の恋愛映画 ―菊池寛作『第二の接吻』をめぐって

1926年に公開された『京子と倭文子』は、通俗小説の分野で最も人気の高かった作家・菊池寛の映画化作品である。聯合映画芸術家協会、日活、松竹の三社が映画化に乗り出し、その後の菊池寛作品のブームのきっかけともなった。だが、この作品は、原作の『第二の接吻』というセンセーショナルなタイトルが問題とされたために検閲の許可が下りず、結局『京子と倭文子』に改題され公開されることとなった。発表では、「接吻」というタイトルがもたらした反響と映画界の対応を検証することで、当時の性にかかわる映画と権力との関係、あるいは競作をめぐる文学者と映画との邂逅などの問題を考察していきたい。



【2】13:45〜14:10〜14:25
川島 京子 (演劇理論研究(舞踊)コース COE客員研究助手)

エリアナ・パヴロバによる日本へのバレエ移植〜日本での活動と来日前の芸歴について〜

エリアナ・パヴロバ(Елена НиколаевнаТуманская -Павлова、 Elena Nikolaevna Tumanskaya‐Pavlova、芸名:エリアナ・パヴロバ、1897−1941)について、これまでの先行文献は、彼女の波乱に満ちた生涯に焦点を当てたものが多く、舞踊学からの考察、資料的確実性が欠けていたといえる。本研究は、エリアナをバレエ界に弟子を残したことを以って日本へのバレエ移植者と捉え、彼女の来日前の芸歴と、日本においていかなる手法で弟子を輩出したのかを現存する資料を元に考察する。また、エリアナが日本にバレエを移植したのは、そもそも意図したことではない。貴族の家系であったパヴロバ一家が、ロシア革命を逃れ亡命した日本での模索の結果であるといえる。このようにバレエが政府の政策としてではなく、一人の亡命者を通じて移植された日本の例は極めて特殊であること、さらにエリアナの移植の手法が現在に至るまで日本バレエの特徴となっていることにも注目する。


【3】14:35〜15:00〜15:15
青野 智子 (演劇理論研究(西洋/比較)コース COE特別研究生)

リージョナルシアターの存立基盤:アメリカ地域社会への定着過程における均質化の進行

アメリカ合衆国には、ニューヨークを拠点とするブロードウエイ演劇の他に、各主要都市を拠点として演劇活動をおこなう、リージョナルシアターが存在する。その多くは、1960年代末〜1970年代前半を通じて各地に創設されたが、その後、人材・経営ノウハウ・作品を共有することで緩やかな全国ネットワークを形成し、現在ではアメリカ演劇の一翼を担う存在となっている。 このアメリカ独自の演劇文化の一つであるリージョナルシアターは、いかにして、地域の観客の支持を受け、発展・定着してきたのであろうか。報告者はこれまで、Arena Stageの事例研究により、その問いに取り組んできたが、本報告においては、Seattle Repertory Theatreの事例をも併せて比較・対照することで、リージョナルシアターの存立基盤とは何であるか、より深く検討したい。


【4】15:15〜15:40〜15:55
木村 理子 (演劇理論研究(東洋演劇)コース COE客員研究助手)

歌で演じた革命期 〜コミンテルンとモンゴル演劇の成立〜

モンゴル近代演劇はソヴィエト政策の産物であり、政策転換期にロシアから導入される「モデル」の模倣によって、「ソヴィエト=ロシアの経験」に則り段階的に形成されたものである。コミンテルンによる宣伝活動が近代演劇の起源であるモンゴルでは、「第三期(1928年〜1933年)」の左派台頭期に導入された「生きた新聞」の模倣から台詞劇が成立、1934年からの「人民戦線期」に入ると、政策転換の表れとして、1928年に否定した1920年代の演劇活動を「歌劇」として再生し、「台詞劇」と「歌劇」の区別化が図られている。本発表では、コミンテルンによる政策転換期の「モデル」チェンジに焦点を絞り、モンゴルにおける「演劇(ドラマ)」と「歌劇(オペラ)」の成立過程について考察するものである。



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