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年間活動報告 古典演劇研究(能楽)

研究概要 活動報告 2002 2003 2004 2005 2006 2007
1.鼓筒の復元的研究プロジェクト(会場は特に断らぬ限り、演劇博物館レクチャールーム)
<2002年>
12月3日
生田家出張
山崎有一郎横浜能楽堂館長・高桑いづみ東京文化財研究所音楽芸能室長・中村雅之横浜能楽堂企画係長・大倉源次郎小鼓大倉流家元らと大阪吹田市の生田秀昭氏邸を訪問、所蔵鼓筒を見学

<2003年>
3月31日
生田家出張
高桑いづみ氏・中村雅之氏・大倉源次郎氏らと生田氏邸を再度訪問、研究資料として借覧を申し入れ。
4月23日
鼓筒研究会第1回
研究参加者の顔合わせと今後の調査方針の確認
5月17日
鼓筒研究会第2回
鼓筒調査の着眼点について、生田氏解説
5月30日
生田家鼓筒演博に搬入
6月6日
鼓筒入庫品確認、2004年2月の横浜能楽堂における鼓筒展覧会に備え、横浜能楽堂スタッフも立ち会い
6月14日
鼓筒研究会第3回
発表高桑氏。鼓筒の古態とその変遷についての研究発表。
7月4日
鼓筒第1回CT走査。以後、レントゲン撮影を中心に数次にわたり実施、10月までに全点のレントゲン写真のみを撮影完了。
7月26日
鼓筒研究会第4回
発表生田秀昭氏。鼓筒の作者と居住地に関する研究発表。
8月11日
鼓筒研究会第5回
発表高桑氏。鼓道の形態に関する研究発表。(於横浜能楽堂)
9月9日
鼓道真弧での計測試行 高桑氏・竹本。
10月18日
鼓筒研究会
発表竹本幹夫。生田家所蔵『筒職記』の輪読第1回。


2.謡曲の復元的研究プロジェクト(会場は演劇博物館レクチャールーム・同学術フロンティア室など)
<2003年>
5月31日
謡曲研究会第1回(ガイダンス)
6月28日
謡曲研究会第2回 発表者 平林一成〈山姥〉
能〈山姥〉は、戯曲としての語彙面の特徴から世阿弥によって書かれたと考えられ、
かつ、世阿弥自身によって確かに演じられてもいる劇作品である。同曲は現行曲ということもあり、禅味を帯びた内容とも相俟って、きわめて人気の高いものであるが、本発表では、世阿弥伝書中の記述にもう一度立ち返りながら、特にシテの「鬼女」をめぐる解釈を試みた。 この際、主要な論点となったのは、『三道』と『申楽談儀』各々の、「山姥」に関する記述である。

まず『三道』の、「又、百万・山姥などと申たるは、曲舞舞ひの芸風なれば、大かた易かるべし」は、項目としては「書」における「女体」に属するものであるが、それではこの記事は、世阿弥が現存の能〈山姥〉の「鬼女」を「女体」として位置づけていたことを意味するのだろうか。また、一方の『申楽談儀』では、「実盛・山姥も、そばへ行きたる所有」とし、一見、先の『三道』の「大かた易かるべし」とは異なった言及がなされているが、この点について矛盾なく解するには、どうしたらよいのだろうか。

本発表では、特に前者の「女体」をめぐる問題に論議が集中した。これに伴い、能〈山姥〉の演出(白頭と姥鬘)に関することや、金春禅竹が『歌舞髄脳記』において同曲を「女体」に分類していること等、派生的な諸問題にも触れることとなった。

なお、右の問題と合わせて、能〈山姥〉のテクストそのものについても、上掛り・下掛り両系統の主要な伝本をあらためて調査し、適切な底本として『遊音抄』を用いることも検討した。
7月12日
謡曲研究会第3回 発表者 江口文恵〈高祖〉
享徳元年(1452)二月、薪猿楽御社上りの能における観世大夫音阿弥所演の〈カンノカウソ〉は、これまで『能本作者註文』所載の観世小次郎信光作〈高祖〉と同一曲で、信光の若年期の作とされていたが、信光の生年が旧来考えられてきた永享七年(1435)から宝徳二年(1450)に訂正されたことで、音阿弥所演〈カンノカウソ〉は信光作ではないということがわかった。これにより、信光の作品や経歴について再考を要することになり、本研究会において、現存〈高祖〉について発表した。 

現存〈高祖〉(別名「星祭」「星」)は、漢項合戦を題材にした能であるが、項羽が自刎したという史実とは異なり、高祖の臣下韓信・紀信(ワキ・ワキツレ)が勝利を祈念して本命星(前シテ)に祈ると本命星が現れ勝利を約束し(前場)、両軍の戦闘場面の後に軍神(後シテ)が出現し、決戦を集結させる(後場)。いわゆる「斬り組霊験能」の作品である。戦闘場面のある後場には、多くの登場人物を有する。後場にのみ登場する登場人物を列記すると、高祖・項羽・高祖軍の軍勢(複数)・項羽軍の軍勢(複数)・軍神の眷属(複数)と(以上すべて後ツレ)、かなりの人数を要する。〈カンノカウソ〉所演時に観世座が演能した他の五曲は、すべて必要最低限の人数しか要さない夢幻能の曲である。同じ御社上りの能で金春座・金剛座の所演曲にも〈高祖〉のように人数を要する能はみられない。また、高祖が軍神を呼び出す祈念の段が信光作〈皇帝〉に近似している点なども考慮に入れると、現存〈高祖〉はやはり信光作ではないかと考えられる。〈高祖〉では前・後に共通する登場人物がシテの軍神のみであり、前・後に断絶があると考え、〈高祖〉は既存の〈カンノカウソ〉の前場に、信光が新たに後場を作り直して斬り組霊験能に改作した作品ではないかという結論に達した。

なお、7月26日に行われた特別研究生研究発表会においては、本研究会での発表成果に加え、信光の処女作は寛正六年(1465)に〈出雲トツカ〉の名で演能記録がある〈大蛇〉であり、小次郎信光の能作者としての出発点は、彼の代表的作風でもある「龍の能」あったのではないかということ、及び〈高祖〉のような斬り組霊験能が流行したのは応仁の乱以降ではないかという指摘をし、信光の能作活動、経歴についても言及した。
7月19日
謡曲研究会第4回 発表者 「 文卿〈石橋〉
一 校訂本文の作成
『国書総目録』の「能の本」の項目に挙げられている〈石橋〉の諸本の中で、東京大学史料編纂所蔵観世元頼節付本(天文二三―永禄二)を底本に、上掛り謡本(七本)・下掛り謡本(四本)・番外謡本(二本)の計十三本を対校して校訂本文を作成した。

二 先行研究
先行研究には、表章氏の「能〈石橋〉歴史的研究」(『能謡新考』(二)所収 昭61.3/初出 昭40.8)・「能〈石橋〉の間狂言」(同書/初出 昭40.9)、香西精氏の『能謡新考』II 作者と本説・石橋(檜書店 昭47.10)、天野文雄氏の「獅子の能と獅子舞」(観世 昭56.4)等が管見に入った。これらの諸説において、前場と後場の連結が不自然で、獅子舞を見せるためだけに作品が成り立っているというのが共通の指摘である。この点について、発表者は「文殊菩薩の浄土」を見せることに作能の意図があったのではないかと考えた。

三 構想について
〈石橋〉の前場の第四段[クセ]後半の詞章に「むかひは文殊の浄土にて」や「影向の時節も今いく程によも過ぎじ」と、後場に文殊菩薩の現れることを思わせながら、実際には登場せず獅子が出現することで、先行諸説に前場と後場の連結が不自然であると指摘されている。しかし、『中國佛寺志』C涼山志・雲岡石窟寺記(明文書局 台北 1980.10)・巻七・異衆感通・孝感千獅「明嘉靖間河南信士潘守誠負七十母來登中臺至竹林嶺見千獅子遊戯躍入雲際」と、明の嘉靖年間(1522−一一五六六)に潘守誠が年老いた母を背に中台に登り、竹林嶺に獅子の出現を見た話がある。そして、標題に示されているように、それは潘守誠の母への「孝心」が数えきれないほどの多くの獅子の出現を促がしたとして理解されている。この話から、文殊菩薩の霊地に「文殊菩薩」ではなく「獅子」を見ることも、奇瑞を体験したこととして成立するといえよう。そして、このような獅子の登場は、ワキ=寂照の設定や、後場の[ノリ地]に師子・団乱旋・万歳楽・千秋楽と舞楽の曲名を連ねて第四段[クセ]に見える「文殊の浄土にて常に笙歌の花降り」に呼応させていることと同じく、「文殊菩薩の浄土」を描写するためのものであろう。

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